ドール職人のドールライフと日常を綴る日々。

もうそろそろ、
新型コロナウイルスのため学校休業になって
1か月め。
3月末の上のぼーずの卒業式にもネット中継でしか
観ることができなかった。

もう今既に勤務について
生活をしている模様である。
先日久しぶりに電話があって色々話ができて
元気そうな声で安心したのだが
外出自粛はどこでも同じで
初めてのお給料であつまれどうぶつの森の
無人島へちょっと行ってくると言っていた。
そして私には母の日の贈り物にと
ジョジョの奇妙な冒険文庫本全巻を送ってきた。
濃ゆいプレゼントでビックリなチョイスだわ。
おかげで無為な時間にファントムブラッドを読了。

もともと出不精だから外出をしないことそのものは
恐らく問題ではないのだ。
問題なのは、いま外に自分では完璧に防御しようのない
脅威がすぐ近くにあるかもしれないという現実の圧が
きっと私を、息子たちを、人々を疲弊させるのだ。

昔コールセンターではデスクの
ヘッドセットからみるみるうちにインフルエンザになる人が
続出してさばききれない仕事量に悲鳴を上げる日々を
送ることになったのだが、
多分現在稼働しているところでも相当ピリピリして
業務をこなしているだろう。

ドール関連も
外での展示販売に行けない状態でかつ、
ネットで売りに出してもほとんどが売れない状態が
続いているので非常に厳しい。
日本人形玩具学会の表象遊戯学部会から
今年上梓する論文集の原稿の依頼を執筆したくらいしか
あまり生産的なことはできていない。
娯楽などに割く経済的、心情的余裕なども
望むべくもないだろう。

下の子の教科書は先週になってやっと配布されたが
授業の再開後どうなるのか、
一番大事な来年の受験はどう決まるのか悩みは
尽きることがないが 教科書対応ワークと過去問題集を
できるだけやるしかない。

色々なことが不安で先が見えない状況ではあるが
目に見えることを一つでも何かできたら
ちょっと頑張った自分や誰かをほめてあげようと今は
そんな気持ちで過ごしている。




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[2020/04/19 17:54] | ちょっとまじめに考えてみる。
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その日以来、夢のなかで、
私はひとりきりではなくなった。


差し出されたその手はあたたかく
私が躊躇して恥ずかしさをごまかしてほどこうとしても
その人は、またすぐに大丈夫だと笑顔で私の手を引っ張って行く。

ともに歩くこの美しい人がいて嬉しい反面
手を繋ぐこの人がおそらく様々なものを背負っているであろう分
自分自身にも甘んじ過ぎず厳しくあらねば、と毎回思う。
出来るのかどうかは分からないけれど、と思いながら

「僕がいるじゃん!」

そっか。 
そうだねと共に笑顔で列車に乗り込んだ。


夢から醒めた後。
自分はやっと ひとりではなくなったんだなぁと
心底安心する。

何故なら 
私はこんな夢のなかでは必ず
しっかり婚礼衣装まで着ていてるにもかかわらず、
ほとんどがひとりで、
自分の側の招待客も新郎もいなくて
ただただ、狼狽するばかりだったからである。






この手の夢は長く見ていなかった。

自分の結婚式なのに誰も自分の身内は来ないし
ましてや新郎も来ないでたった一人、
大きな式場のなかで ざわつき始める招待客のなか
婚礼衣装を着てどうしようとおろおろする夢。

ただの道化者でみっともない愚かな花嫁になる夢。

これは昔適齢期のころ、
6年間待って結婚を反故にされた前後に
頻繁に見ていた夢だ。

自分でも明らかに不安定な時期だった。
そんな時に限って夢は強烈な形で警告していたのだ。
もうあきらめろ、虚勢を張るな と。

最後にその夢を見て目覚めたのは病院の個室だった。
まだひとりと分かりきっている白い部屋の方がましだと、
安堵した記憶だけがぼんやりと残っている。
そうだ、
盛大な式で独り、取り残されるよりは。
あんなに恥ずかしくて消えてしまいたいような
思いをするよりは。

自分でも多分分かっていたんだろうけれど
現実で受け入れたくなくて自分を偽り、
その大きな不安とか歪みが、一気に夢に出たんだろう。
自分の心さえ自分ではままならなくて、
都合のよい嘘をついて一瞬でも眩まそうととする自分を
自分で容赦なく責めたてたのだ。


その後全く別の人と結婚したものの、
結婚式はおろか親族同士であいさつすらなかった。
葬式の時にやっとその存在に気づかれた体である。

私はいわゆる適齢期でもないしもう結婚はこりごりというか
自分の見る目がないようだ。
義母は私に悪霊がついているからと突然言い出し
孫がかわいらしく育つ時期にも一切かかわろうとしなかった。
目に見えないものを言い訳にして避けられるのは
とても驚いて混乱したが、
かえって自分の子育てに口出しされずに済むと
割り切ることにした。
そんな状態が、自分の地元に帰ってくるまで続いた。

そしてやっと実際に婚礼写真を撮影した2年後に離婚。
皮肉なものだ。

私は離婚に至る数年前から、
何故か時々駅から夫とは全く別の人と二人で手を繋いで
列車に乗る夢を頻繁に見るようになった。

毎回手を差し伸べてくれるのは同じ人で
知らないような、知っているような
身なりや笑顔がとても美しい人。
今度は、夢なりの美化表現にも程があるだろうと
苦笑いしたくなるような。

その夢を見るたびにもう帰りたいと思わなくなるので
人生の終末期に見るという、お迎え現象なのかなとも
思ったが
夢を見るようになった期間があまりにも長いので
まだ多分そういうことではなさそうである。

「僕がいるじゃん!」

電車に乗り込む時 
実生活でこれ以上は無理だと何かに不安になる時
彼は夢に現れ決まってそう言う。
見透かすかのように。
でも私はその一言だけで、とても安心するし
幸せな気持ちになる。
やっと自分を偽ることもなく夢でも笑顔になれる。

ただ二人で駅から列車に乗り込むだけなのに。
それだけでも、ただの夢でもまだ長い旅が
あるんだと。
夢のなかの彼と同じ、共に流れる時間の続きがあるのだと。
それからの私は
起きている時にはせめて、
毎回夢に現れては力を与えてくれているのだから
自分の出来ることを精一杯頑張ってみようと
少し、前向きになれるのだ。

自分の手や目が思い通りに働いていてくれるうちは
出来ることを全うしようと思うのだ。

たかが夢なのかもしれない。
だけど私にとってはむき出しの自分の心を知る
写し鏡のようなものなのだ。

今までは何もできないような気持であっても、
ほんのちょっとの安楽で、
月にも手が届きそうな勇気を手に入れることもできるのだ。










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[2020/01/07 20:34] | ちょっとまじめに考えてみる。
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むか~し、深夜に放送されていたちょっとこわい
1話完結型の海外ドラマ「トワイライトゾーン」というのを少しだけ
見たことがある。

ある街に見知らぬ男がふらっと犬を連れてやってくる。
男は魔術により人をよみがえらせることが可能だと言う。
刃物で切りつけて死んだ犬を、その場で生き返らせるという
術を披露した。
そうすると
町の人々は口々に亡くなった自分の父母や夫や妻の
話をして
「ああ、もう一度会えたら!」 と 嘆いた。

そうすると男は
「いいですよ、皆さんの願いをかなえてあげましょう」
と 微笑んだ。
街の人たちはまだ半信半疑である。

次の夜 男は一人目の父親に会いたいと
言っていた男になにやら呪文を唱える。
向こうの角から手を振って一人の男性が登場。

「親父だ!」

そりゃもう、実現しっこないと思っていたから
居合わせた全員ビックリである。

そして満足げに呼び出した男が

「よかったですね。
これでまた復活したお父さんと一緒に暮らせますね。」

と声をかけた途端、
街の衆はざわつきはじめる。

実は懐かしさは嘘の事ではないが
お父さんに生前多大な借金をしていた人
えっ、また一緒に暮らすなんて今の生活では
とても養いきれないよと困る人
私は新しい夫と再婚したのに困るわ…
などと 現在の生きている人のリアルには
もはや冥界の方々はいないものだったから一同当惑したのだ。

そして。

「あのう、悪いんだけど
やっぱり会わずに帰ってもらうように出来ないかな?」

「この降霊術はたいそう手間もかかるものだし、
私も多大な労力を払ったのだ。
今更そういうわけにはいかない。」

と 男が突っぱねると
街の人たちは頼むからこれで勘弁して帰ってもらってくれと
なけなしの財産を男に渡した。

仕方がありませんねぇと馬車に乗って帰った男は
馬車の中で札束を数えながら
父親役を演じた仲間の男とにやりと笑い

「口では綺麗ごとを言うが人なんてこんなものさ。
みんな自分がかわいいものだ。」

と、街を去っていった…という話だった。
もちろん冒頭の犬の復活も賢いワンちゃんの
芝居である。

学生だった当時はどうにも複雑な心境になった
ものである。
亡くなった人に会いたいなんて、
簡単に言ってはいけないんだな…難しいね。





ブラックなお題のドラマの延長線上で書くのには
話にいささか語弊があるかもしれないが、
昨日のNHKスペシャルで
「AI」美空ひばりさんが新曲を披露した。



彼女はあまりコアに知らないのだが、私らの親世代では
多分知らない人はいないんじゃないだろうか。
(友達がカラオケで「悲しい酒」を歌ったときはビックリしたが…)
息子にも、今でいうところの安室奈美恵みたいなものかも
しれないよと言った。
まあ、ひばりさんは生涯現役だったけどね。

晩年、つらい闘病生活を送られたところが報道されて、
それでも東京ドームで必死に立ち、
復活コンサートを開いたのはよく覚えている。
AIの学習能力、100人規模の作る人たちの思いがひしひしと
感じられるものづくりの世界を見せてもらった。
一夜限りのコンサートは本当に美しくて泣けた。
モーションキャプチャーを務めた天童よしみは年取らへん人やなぁ。
森英恵さんの白いドレス姿のAIひばりさんはとても美しかった。

前回の出川哲朗さんのお母様をAIで再会する企画も
そうだったが 
話し方がすんごく、本人が喋ってるかのように
滑らかなのである。

開発者はあのボーカロイド「初音ミク」のチームである。
ミクさんの歌声作品も色々と素晴らしい曲が沢山ある。

今世界的にそういったAI技術が発達しているのだが
一方で、
動きや音声をキャプチャーし ご存命の方々(特に政治家)に
言ってもいない発言や動作をさせた悪質な動画が
拡散するといった問題も起こっているために
亡くなった人を蘇らせるAI技術に対する倫理が問われている。
勝手に墓を掘り起こして利用してもいいのか?と。

難しい問題だが それでも
出川さんのお母様やひばりさんの歌声に
慰められたり癒されたのも真実である。
ものは使いようよね。

初音ミクさんが歌のなかで
「変な言葉を歌わせないで」って言ってる歌詞が
あったように、今のところAIそのものが悪さをするのでは
無いからである。
彼女はあくまでもイーハトーブで歌っているように
「箱の中からは出られないミク」
「かりそめのボディ」
的な存在なのだ。

一回目の際には上のぼーずが夏休みだった時の
放送だったので

「なぁ、
私が死んだらアレクサみたいにAIでおしゃべりしたい?」

と 興味本位で訊いてみたら

「やめてよー
わし余計に淋しなるからいややわ。」

あれあれ、一応寂しがってはくれるんかい?
嬉しいねぇ。

いつの日か
自分の声のAIで自分の弔辞を
葬式の参列者に向けて読み上げる時代が
もしかしたら来るかもしれないなぁ。

確かに死人にバラしてほしくないような事を
そこで言ってしまいたくなるのかも笑。
先のトワイライトゾーンの街の人たちみたいな心理が
ちょっとわかる気がする。
まぁ、そういうツールが手元に無いから今は
ここに綴っていくわけなのだが。









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[2019/09/30 11:32] | ちょっとまじめに考えてみる。
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たぶん、自分もだいぶ混乱してるので
とりとめもないことを書くと思う。
上手くまとまらないかも知れないけど、
とりあえずじっともやもやしてるのが
耐えられないから残す。


昨日の朝  
美しい描画が素敵だったアニメーション会社が
放火事件により全焼。
多くの、
本当に信じられないほどの多くの人材が犠牲になった。
犯人は自身も火傷を負い、重体である。

多くの犠牲の大きさに、私自身も動揺しているが

世の中には意味のない悪意が渾然と存在することを
多々、思い知らされるばかりである。




その更に前のこと、
がんを患い闘病中のアイドルのブログに
罵詈雑言を投稿し続けた、
まったく他人の主婦が逮捕された。

バカ、死ね、嘘つき。 と 書き連ねて。

「どうして自分だけがそんなことで捕まるのかしら?
他の方はもっと酷いことを書き込んでいらっしゃいますよ?
そりゃ、謝れと言えば、お詫び申し上げますけど。」

まぁ他の人間云々の話はあながち誤っていないんだろうけれど、
どうやら 反省はないらしい。
誰かも言ってたから?
ふざけるな。
自分の荷物は自分が背負うし、
人は自分が蒔いた種を刈り取ることになるんだよ。


さる医療関係の記事で
生まれてわずか2か月で腹部にがんが見つかり
その後各臓器に転移し、1歳を迎えたものの
脳転移のため終末医療を受けるために彼女の両親が
近所の病院へ転院させることになり
そこで
医療スタッフ間で緻密な彼女に関する情報の引継ぎが
熱心に行われた。
新しいスタッフ達は
おそらく手厚い看護を不自由な体のまま受けてただろうに
いくつもの管に依存している命ながらも
とても安らかにふっくらしたお顔で眠っている彼女に

「いらっしゃい。よく来てくれました。仲良くしましょ。
1歳おめでとう」

と 暖かい言葉をかけた。

小さな一つの命に関わってきた大人達は
その安らかな幼子の寝顔に勇気づけられ、
一致団結して彼女を支えていこうという力をもらった。
がん専門医のオーサーは、はっきりと
この子の命を守るために周囲の人々は一緒に闘ってきたのだ、
生まれてきた意味はあったのだと記事を結んでいた。


最近、命におびやかすような言葉を日常的に
ネットやメディアで言葉として見たり
実際に平気の体で匿名で書き残すことによって
リアルと現実の浸透圧が逆転した価値観と
身勝手な正義感を利己的に行使することに対して
本来あってしかるべきの倫理観が希薄になってはいないか。

そしておそろしく簡単に、
沢山の命を奪う事象が実際に増えている。
人はみんな同じ道をわざわざ言葉にしなくても
誰かが殺めなくとも辿るというのに。

私の人生の長さそのものだけが、
他の誰かの10年、先の1歳の女の子の人生に
まさるとは限らないと思うのに。

それぞれの命の在り方は、到底量れない。
どう生きるのか、何をこの世に残すのか。

何故身勝手な正義という名の鉄槌を
人間が下してよいものか。

本当にね、
私たちは生まれてきて生きられる世界はここしか
無いのになぜ…?
頭がぐるぐるする。


京都アニメーションで犠牲になられた方々の
ご冥福と、
負傷されたスタッフの方々のご回復を
心よりお祈り申し上げます。
自分に出来ることをよく
考えて実行したいと思います。

遺された命のありかを私は忘れません。




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[2019/07/19 02:23] | ちょっとまじめに考えてみる。
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甲辰
いつも思うんですがね・・・
無差別殺人の事件が起こって、犯人が捕まって
「動機を調べる云々」
とマスコミが言ってますが、その動機は公表されることってあるんでしょうか? 

犯人の先天的な嗜好もあるかもしれませんが、少なくともどのような生い立ち、環境で育ってきたかを公表することで初めて防犯になると思うのです。

人権とか個人情報を守るという大義名分で本当に大切なものが失われていくような気がしています。

う~~~~~ん…
>甲辰さん

事件があった当時から恐らく取り調べまでには時間がだいぶ経過してからになるから、犯人自身も根本的なところではわかんなくなっちゃってる可能性もあるかもしれません。
記憶の改ざんというものです。
事実と真実(動機も含む)の数は同じではないからです。
多方面からのアプローチが必要になるかと思います。
恐らく責任能力の可否問わず精神鑑定も実施されるでしょう。
でもあれだけの理不尽な犠牲を出した事件には理不尽な動機しかない気がします。
だから、犯人の治療にあたっている医療スタッフがメンタルケアを受けなければならない程今は苦しんでいる。
真の防犯や抑止になるかは定かではありませんが 人間は実に多様性に満ちた個性や感情を持ち合わせています。
親である私も同じ腹から産んだ子供でも、
こんなにいい意味でそれぞれ違うものなのかと思うくらいに。
まず、
成育歴や環境も大切ですが「これから」犯罪が起こる前に
それらを踏まえて生きづらさや問題を抱えている人たちと、
排除ではなく差別化ではなく、人とどう関わってゆけばよいのかや感情をどう制御してゆけるのかを共に考えてゆく行政や有識者等の取り組みが必要ではないでしょうか。
人間、孤立してると考えが自分ばっかり中心になって暴走しやすくなり、視野も狭くなりますから短絡的になりやすいです。
そんなだから手っ取り早く自己承認欲求を満たす輩も出てきます。
いかにそこからなんとかすくい取るかだと思います。
理想論的見解だけで申し訳ないのですが、嫌になるくらい排他的過ぎるんですよ、今の世相は。

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多分うちだけじゃなく、全国的に青ざめた
長い一日だったのではないかと思う。

日頃の、
子供や奥様方が道端で話す声が全く聞こえない。
昼間にあるまじき静けさの中
子供と各部屋の施錠を確認した。
当たり前の生活音さえ、
一丁の拳銃と男が多くの市井から奪った日だった。

翌朝の今日、
犯人は見つかったわけだけど
見つかったよ、検挙されたよと 息子に言うと
良かった… と 言ってすうすう寝息を立てていた。
私もそう。
長い夜だったのだ。

前記事のドールの買い手がついたので
発送のために郵便局へ行ったのだが
すれ違う人が誰もいない。
こんな違和感を感じたのは神戸の震災の時以来である。

まだ、近隣で起こったことと
病気がやったのであって自分が犯した罪ではないという
言葉に 少なからず動揺している。

真面目に言いたいが、お前の血は何色だ。
被害にあった警官の流した血の
ぬくもりを感じなかったとでも言うのか。
血の気が引いた我々は病気に惑わされたとは
思わない。

人としての「なぜ」が何も役に立たない、
答えを持ち合わせようとしない
人間を捨てた人間が目に付くほどに増えた気がする。
やるせない。







[2019/06/17 21:33] | ちょっとまじめに考えてみる。
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