ドール職人のドールライフと日常を綴る日々。
昨日は先の記事にも書いたように

夫が出張で不在だったので、
私と子供たち、
そして猫様で留守を守ることになった。


通常

猫様はいつものように
夜はぼーずくんの部屋へ行き、
我が家でいうところの
「寝かしつけ」の
仕事をする。

そして
夫が帰宅する頃合いに部屋を出て、

当家のボスに
(どうやら私は主、彼はボスのようだ笑)

お帰りなさい、
ぼーずくんはちゃんと寝かせましたよの
あいさつをしに来る。

朝は朝で、
顔にどすん、ともたれかかって
定時に起こすのだから
ほんま偉いやっちゃなんである。


ところが

昨日は当たり前だが
ボスがいつまで経っても家に
帰ってこない。

彼は猫なんだけど番犬のような
ところもあるからか、

ぼーずくんの部屋を出てから
いつもならばすぐに私の所に報告に
来るのに来ない。

どうしたのかと
私がさがすと、

猫様、
玄関で居心地悪そうに
うろうろしていたのである。

「猫様。」

声を掛けると、

「なぁ、
なんでお父さん帰ってきいひんのん?」

と、言いたげに、ほにゃ〜と
返事をしたので

「あのね、
今日はお父さん帰ってこないの。
明日ね、夜に帰ってくるのよ。
ちゃんと言わなくてごめんね。」

私は彼には自分の言っていることが
通じると思っているので
(現に彼は夫が休みの日には前日に
一言言っておけば朝起こしに来ない。)
そう説明した。

猫様は

「そうやったんか、ふうん。」

と、
言った感じに私を通り越して

とことこと、

今度は眠っているぽぇちゃんの隣に行き、
じっと丸くなった。

いつもならキッチンにいる私の膝に
飛び乗って甘えたおすのに

今夜は不思議と
次は下の子を見るのである。

私が床に就くまで

これもまたいつもなら
私の傍で一緒に寝るのに

彼はうろうろと長いこと、
家中を徘徊していたように思う。

多分彼なりに
ボスが不在のこの家を
怖がりの主とその子供たちを
守っているんだろうなぁ・・・。

その情の深いこと、
なんとありがたいことだろう。

お礼と言っては何だけど

今日は土砂降りの真っ只中
隣でぽぇちゃんに
お風呂遊びをさせながら
いつもよりも丁寧に
ブラッシングしてあげた。

ゴロゴロと喉を鳴らしてご機嫌の猫様に

「今日はお父さん帰ってくるからね。
出迎えてあげてね。」

と、言っておいた。

でも、あんまり遅くなったら
また心配して玄関うろうろしちゃうんだろうなぁ
この子・・・ν

幸せな寝顔
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[2008/07/31 21:00] | 日々雑感
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1987年作。
もうそんなになるのか。

この作品は短編小説「蛍」
をさらに深く書いた作品である。
外伝的要素を含んだ作品に
「めくら柳と眠る女」がある。
いずれも
「蛍、納屋を焼く、その他の短編」に
収録されている。


この度
2010年を目途に、
フランスの映画監督の手により
日本の俳優を使って映画化することが
決定した。

この作品が出版された当時の
社会的ブームは非常によく覚えている。

(後に私は
村上春樹さんの初期の3部作品を
題材に、
古典嗜好の教授の反対を押し切って
卒業論文を書いた関係で、
あっちこっちから片っ端に資料を
集めている。)


そして、
その当時にはこれは映画化は無理だろうと
言われていた。

それまでの村上さんの作品と比較しても
本作品は少なからず
性に重点が置かれていたからである。

下手に作るとただの安っぽい
ポルノ映画に成り果てるのではないか
という危惧があった。

当時の私は
男女のそういう、
肌触れ合う情というようなもの
がさっぱり理解できない立場にいたんだけど

それでもここをすっぽかしたら
話が成り立たなくなるだろうなとは
なんとなく思っていた。

作品への愛着というよりは
読んだ当初にかなりのインパクトを
受けた作品なので

心中はかなり複雑なものが
あるのだけれど
一体どのように描かれるのだろうか・・・。
本作品一部ネタバレ。


時代は1960年代後半から1970年代。

主人公の「僕」と

かつて「僕」の友人の恋人だった直子は

故郷を逃げるようにして大学進学・上京し、
再会を果たす。


「僕」は親友を
直子は長年の恋人を自殺により失っていて
2人は度々会うごとに
行き場の無い思いを共有するようになる。

そして
直子の誕生日の夜、

直子が珍しく
とめどなくしゃべっていた途中、
突然号泣し始めた直子をなだめようとした
「僕」は
結果として彼女と関係を持つ。


しかし、
直子はその夜以降
何も告げず
突然東京の部屋を引き払う。

「僕」が実家に連絡しても
取り次いでもらえず、

彼女は精神病患者が静養する施設へ
収容されたことが後に判明する。

「僕」は
何度かそこを訪れ、語り合い、

直子と同室のレイコさんは
ギターで直子の好きな
「ノルウェイの森」を弾く。

直子にとって、
「僕」と関係を持ったことや
性的交わりを持ったことは

「僕」やレイコさんが思っていた以上に

彼女自身がますます
行き場の無い思いで
「ノルウェイの森のように暗い森の中」
でさ迷う原因になってしまった
ように感じ取れる。

携帯やeメールの無い時代、
東京にいても
懸命に直子に手紙を出し続ける「僕」。

思いの整理がつけられないほど
病が悪化していて様々な焦燥感を抱きながらも
返事が返せない直子。

それを伝える手紙を書くレイコさん。

しかし
それだけ必要とし、されながらも

それでも
直子は「僕」を必要としていても
決して愛することはなかったのである・・・。


彼女の時間は恋人だった
キズキが自殺を遂げた時で
止まったままだったのかもしれない。


この作品には

命の危うさ
死の匂い
喪失

そして
それらに直面し、残され、路頭に迷い
尚も生き続けなければならない哀しさに
満ちている。


本当に、
一体どう表現するのかなぁ・・・。


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[2008/07/31 14:42] | レビュー
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夫方の
ドイツ在住の伯母様は私と同じ誕生日である。

それで
今年は京都の竹細工工房に
お願いして伯父様とお揃いの
竹の少し大きめのマグカップを作ってもらった。
こと
伯父様は日本酒を好んでたしなまれるので。

だけど、
去年プレゼントを発注したお店は
海外発送OKだったけれど
この度は
一度うちに送ってもらってから自分で
発送しなければならず、
誕生日ジャストには届かない。
タイムロスがもどかしい。

そんなわけで
雷雨で伸ばしてやっと昨日、
自転車に空気をめい一杯入れて
郵便局へ行ってきた。
郵便局に到着して、
その場にいる人々に愛想をふりまいてる
ぽぇちゃんをチラチラ横目で見やりながら

「海外発送お願いします」

と職員さんにお願いした。


実は私、

今までドイツにエアメイルは
何度か送っているが
こういった荷物は初めてである。
いつも母か夫に頼んでいた。

指定された紙に住所を書く。

流れるような美しい筆記体の伯母様と
比べて
なんと私の字は不恰好だろう。
それが日本文字でも
アルファベットでも、
案外字面というのは変わらないものだ。


「あの、
これフラジャイル(壊れ物)なんですけど・・・」

「え?
ああ、割れ物かなにかですか?
ここに大きく書いといてください。」

f.r.a.g.i.l.e・・・と。
スペリング合ってるかしらν

「それと、
ここに品物名と、品物の金額をお願いします。」

「えっ、
これプレゼントなんですけど、どうしても
必要ですか?」

「そうなんですよ。
これを表に貼って置かないといけない
決まりなんです。」

それって
プレゼントを値札付いたまま渡すのと
変わんないなぁ・・・ν


でも決まりなら
無粋だけれど致し方ない。

商品と金額をその小さなラベルに書いた。

一瞬Pricelessって書こうかと
思ったけど笑。



なにはともあれ
手続きは完了し、
後は無事に到着して
喜んでくれるかどうか。

そして帰り道


「あーーーーっしまった!!
宛名のアタマに『ミセス』を書くの
忘れてたーーーっ!!」

Mrs.(名前)ですね。

ああ海外郵便は色々と無粋で
恥ずかしいν

プレゼントがパッケージを
圧倒してくれることを心より願う
私なのだった。


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[2008/07/30 13:20] | 日々雑感
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阿修羅王
>宛名のアタマに『ミセス』を書くの
忘れてたーーーっ!!」
読んで脂汗がたら・・・
私もやったことあるんです。出してから気がつきました。
もう、遅いわな・・・
昔の恥を思い出してしまいました(苦笑)
きっとsurpriseで喜んで下さいますよ。絶対に。



雅堂
阿修羅王さん>ああいう大事なことって、
どうして後になってから気づくんでしょうν
日本で
「様」や「御机下」を付けないで出すのと
同じようなものですよね。
ああ、もうまいるわ・・・ν
それからね、
日本切手を貼ってくださいって、
お願いするのも今回忘れたんですν
もしスタンプだけならダブルでショック。
このつたなき甥っ子の嫁を
長い目で見てくれはることを
願わんばかりです。


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080730_0829~0001

今日から
北海道へ出張のため

大阪空港から夫よりメール。

おお、
あれに乗るのね?

携帯をサイレントモードにしていたので
気が付くのが遅くなって
いってらっしゃいが言えなかった。
ごめんよ〜ν

到着したら、同僚オススメの
寿司屋へ行くのだそう。

少々、
渡したおこずかいに色を付けて

「美味しいもんを食べておいで」

と、言ってみた。
後でそういう話を聞くのもまた
楽しみの一つだし。


今夜は話し相手がいなくて
淋しいけれど、

夜にもう1セットビリーが出来そうだ笑。


ところで夫が遊んでいた
ドラクエ?は
昨日ラスボスを倒したんだけど
まだ続きがあるから持って行っちゃったしねぇ・・・。

そのドラクエだけど

いや〜、
彼のは私には真似できない。

データをのぞきこむと、

最終クリアレベル主人公で40、
他のモンスターや子供はなんと20台。
総プレイ時間約27時間。早っ!


・・・なにこれ。
「うろこのたて」で闘ってたの!?

なんで主力のゴーレムが
「はがねのつるぎ」!?

ポルトリンクの魔物じゃなくて
相手ラスボスよ?
ナニこの封印プレイ!

「だって、
金無くってジャハンナで
武器買えなかってんもん。」

ヘロヘロの攻撃で
ひたすら「けんじゃの石」を
使い
マホキテを使い
エルフの飲み薬を使って
ものすごく長くかかってラスボスを倒した
らしい。

その所持金34000G。
銀行・カジノにはとうとう一度も
行かなかったみたい。

もったいない・・・ν
でもまあ、
クリア後があるからさらに
やりこんでは行くんでしょうけど。

帰ってきたとき
どれくらい進んでるかが楽しみだ。

頼んでおいたオミヤの
ミルクプリンを持って、

気をつけて帰っておいで。

[2008/07/30 11:48] | 日々雑感
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昨日夫が帰宅して食事の後、

いつものように台所の食卓で
とりとめも無い話を長々としていた。

私は単語集をチェックしながら、
夫は携帯MMOを触りながら。


私には時間が無い。

今はもう、
若さの盛りの頃とはわけが違うの。

出来ることをいっぱいやりたい。
勉強したい。

焦ってるのよ。

そんなことを言った気がする。

「なんで?」

「残された私の人生の時間が
少ないことを知っているからよ。」

比較するのはナンセンスかもしれないが
私の母親が突然この世を去ったのが
65。

私は今の年齢の2倍、
果たして生きているだろうか。
なんとなく自信ないな笑。

そんなことはないよ、と
言いながらも

「人生という名の修行の旅を
人はしている」

という話をしていた。

080521_1138~0002
宗教的な話になるが

夫は仏教徒で
私はどこの教会にも属さない、
なんちゃってクリスチャンである。


夫は色々と考えるところが
あったんだろう、
私と出会う前は母に

「出家して仏門に入る」

と言ってたそうである。

「私はあの子が仏門に入ろうと、
金髪で青い目のお嫁さんを連れてきても
驚きゃしなかったでしょうけどね」

そう言って、
本当に屈託無く笑うのだ
夫の母という人は。

「あなたは
又お寺とは別の
修行をしなさいってことだったのかも
しれない。
でも私はどこかの神様に感謝するわ。」

と、その母の話を受けて
笑ったものだ。


話を戻す。

夫いわく

今この世に与えられた命、
この人生を一生懸命生きることが
修行の旅なのだ。

存在するのかは私はわからないけど

前世でやり残したことや
ある種の課題として残ったことを
現世で昇華するべく
人々は旅をする。

「その旅が終わった時、
何が待ち受けているのかはでも、
誰にも見えないから尚の事懸命に
生きなきゃいけないのかしら・・・?」

なんちゃってでも
キリスト教の教えに輪廻転生の
概念は無いのは知っているので
そこはやんわりと聞いておくにとどめるの
だけど、
あったらいいなとは少し思う。


一日一日を
大切に生きるという考え方と、

夫の言う「旅」の考え方は
妙に納得しているので、

宗派は違えど私たちの宗教話は
いつも不思議と融合しているし、
有意義な話をしたという満足感もある。

夫婦だから、というのも
あるのかもしれないけど。


もっと多くの知識が得たい

子供と一緒に何らかの
達成感を味わいたい

以前より
希望している会社でお仕事したい

ほかにも色々、色々・・・

しかし
もう、本当に、
きっと煩悩のカタマリだよね私笑。


「そんなにいっぺんに焦るな笑」

夫に言われて
一緒に笑いながら


ああ、
そういえば

大昔渡辺美里が

「死んでるみたいに生きたくないだけ」

って、歌ってたっけなぁ。

今ならこの意味がよ〜くわかる。

うん、
旅の行き着くところは何処かは
わからないけれど

ぼちらぼちらと行きますか。


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[2008/07/29 17:52] | 日々雑感
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阿修羅王
なんか、素敵なお話を聞かせて頂きました。
そう、宗教は違えども、きっと核心は同じはずだと思います。
私は神道でもクリスチャンでもなく、強いて言えば信心深くない仏教徒だと思っています。少なくとも自分が信じる神様でも仏様でも、相手を否定したり争いをしたがる信仰の仕方は違うと思います。
少なくとも何かの意味があってこうやって生かされているのでしょうね、人類は。かなり厳しい修行を科せられていますが(笑)



雅堂
阿修羅王さん>うわぁ、有難うございます。
他を認めない、否定、白か黒しかないっていう
教えは対立か孤立しか生みません。
あるいは、カルトと化して社会とその末端信者に悪影響を及ぼすに過ぎません。
ならば、宗教観に関して言えば
お互いの良いところを語り合う方が有意義だと
思います。
結局のところ宗教は主として
生きる者の人生のためにあるのですから。
ええ、
自ら招いた事で重い十字架を背負っている
こともありますねν


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