ドール職人のドールライフと日常を綴る日々。

2日連続休みのシフトに久しぶりに入って
夏休み 子供がいる賑やかさからは
解放された。

子度が学校から帰ってくるまでの
全く独り占めできる自分の時間を持てた。
もう、自分の顔の筋肉がてれーっとしているのが
わかる。

ずっと笑顔じゃないわけさ。
あぁ、脳みそ疲れてたんだなぁと、今更実感。


本来はずっと家にいて一人でごそごそ
本を読んだり 音楽を聴いたりしてるのが
大好きだから、
今日は
「四月は君の嘘」

を初めて読んでみた。

ピアノが弾けなくなったピアニストの男の子と
繊細ながらも豊かな感性を持つ魅力的な
ヴァイオリニストの女の子のお話。

中学生の時の私はやっぱ幼稚だったなあと
つくずく思うワケで。



こんなピアノとヴァイオリンが丁々発止している
難曲、弾きこなせないよν
かをりすげー。

私は作中のかをりの
悲しみも喜びも人生すべてを音楽の糧にするのが
音楽家だろうと言い切る覚悟が凄いと思った。


私は昔自分も音楽をやっていて
その作曲者が意図する音楽が表現できているかとか
音楽で喜怒哀楽をどう表現したらいいのかとか、
全く届きもせずに演奏していたような気がする。


だからずっとドールを作っているときに聴いている
ヴァイオリンソナタを聴いていて
気が付くとほろりと涙を流したりしているときに

「こんなに人の感情の機微をいくつも表現ができてしまう
音楽はずるいよなぁ」

なんて、
軽はずみな逃げの考えを思いついて
後で恥ずかしくなっちゃうのである。

いやいやいやいや、
表現者の生みの苦しみはどの分野でも
大差ないはずでしょ?と。

ほっこりできない時に
自分以外の何かの助けを貰って癒されて
また前に進む。
あー
一日が月と同じくらい長かったらなぁ。

フェルト作家のまたたびちとさんの作った
玉ちゃんと
うちのカスタムプーリップ・元素体巡音ルカの
ラムネ。
1464681553140.jpg

なんてゆうか、
猫の可愛いところが忠実に再現されていて
背丈がちょうどプーリップと同じくらいなので
思わずうちの娘たちにもふもふさせてしまうのです。

明日からは怒涛の勢いで忙しいから
次はいつ、こんな日が訪れるのか
一応の休憩地点を目指してまた外へ飛び出す。




追記を閉じる▲
スポンサーサイト

[2016/09/29 16:08] | 日々雑感
|


甲辰
四月は君の嘘

僕はアニメで観ました。

僕の中学生の時と比べてみるとこのアニメの二人は何というか深い、そして自由だとおもうのです。

この自由は絶対的な自由で、僕は自由を得るための 殻 を破る発想、経験、何より 勇気 がなかったのだろうと今になってつくづく思います。

年をとって回顧することが多くなってきたのかな・・・。

ちなみに昨日誕生日でした。


>甲辰さん
 お久しぶりです↑
今アニメも8話だったかな、公生がショパンのピアノを弾くところまで追っかけて視ています。

私は音楽の自由を自由と思わず、
ただもがいただけで終わった気がします。
でも、一緒に音を合わせられた喜びは何物にも替え難い宝物でもあります。
私にも憧れがあったのです。

>年をとって回顧することが多くなってきたのかな・・・。

たぶん人生重ねてきていっぱい引き出しが増えたからですよ。
キャパシティーが広がったといいますか。

お誕生日おめでとうございます。
うちの下の息子も、もうちょっとしたら誕生日です。
バランスを重んじるてんびん座生まれですね↑




コメント:を閉じる▲

個人的に記述して残しておいた方が良いと
アドバイスを受けたので、
ひとまず書き残しておくことにする。

私が見た夢の話なので
興味のないご来訪者様はスキップで。

最近比較的よく見る夢ではあったのだが
大きな大社様の夢である。

場所は判らない。

ただ、綺麗な、本当にきれいな神鏡が飾られているのだ。

同じ場所には何の理由かわからないけれど
場所に不釣り合いなまでに怒り散らしている
女性の姿。

そして私に
姿は見えないが高齢の女性の声がはっきりと語る。

『怒りを抑えるのに怒る必要は必ずしも
必要やあらへんのよ。』

そうすると

神社の中のこの上なく美しいご神木と
そのたたずまいを見た女性はたちまち怒りを忘れたかのように
その場に立ちすくみ見惚れている。

そして、また件の女性の声が聞こえる。

『ほらね。
真の美しさは人を癒してさらには惹きつける力を
さえ持つものなのよ。
人の怒りなんて小さなことなのよ。
あなたもこれに倣わはったらよろしいわ。
そのうち又こちらへいらっしゃい。』

真意はまだよくわからないのだけど、
どこかが呼んでいる。

今年春に
実はうちの実家が大神神社様へ
大峰山の山開きと閉山の際には
必ず参拝しているという話を知り、
そちらの神主様と
亡き父のご縁でお話を伺う機会があったのだが

「人の心はそれぞれで、
いつ、どこで心打たれるものに出会うのか、
誰にも解りません。

琴線という言葉がございますでしょう?
それぞれ違うところがかき鳴らされるから、
音楽は美しく奏でられるのです。

人の心も、きっとそのようなものなのだと思います。
そして それにより何かの気づきがあった時、
それはとても文字通り有り難いものなのです。

今おそらく家計のお血筋の導きであなた様と
お話をさせていただく事が出来た。
これもまた奇縁でございまいて、
神様に感謝申し上げる有り難いことなのです。」

そうだよねぇ、私は女ですから絶対あの山へは
直接ご奉仕できない。

頂いた有り難いお言葉の数々を
念頭に置いて、
明日もまたぼちぼち頑張ろうと思います。

やはり忘れてしまわないうちに
書き残しておいて良かった。






追記を閉じる▲

[2016/09/04 23:10] | 日々雑感
|