ドール職人のドールライフと日常を綴る日々。

11月22日は
「いいふうふの日」と思っていながら当日を過ごしていた
時の事だった。

その日に私の考えが大きく変わることが起こることは
この時点ではまだ知らない。

我が家の猫様は完全室内飼いで
16歳になっても至って健康な子であることに
常日頃感謝していたのだが

ふとトイレに入ってはうろうろをその日は
やけにしているなと気になった。

午後5時半。
3回目のトイレインしたときに様子を伺うと
どうやら思うように用が足せないでいると感じた。

「まずい
尿路系疾患患ってるかもしれない。
あんた、出せないんだね?」

猫はよっぽど症状が重くならなければ飼い主に
弱ったところを見せようとしない。
私は初めて飼った子を白血病で2歳にならずに
亡くしているので、
自分がまずいと思ったらすぐに病院にかかるように
決めているのだ。

今の時代はネットが流行ってて良かったと思うのは
近隣の獣医を口コミも一緒に住所検索できるところである。
すぐに1件目の一番近所の病院に電話を架ける。

休診。

よーし
ちょっと距離はあるけど評判がいいお医者さんに
電話を架けたらつながった。
この時午後5時35分。

電話の応対も親切だしここにお世話になるぞと
ぽぇに手伝ってもらって自転車で守りながら運べるように
うちで一番でかいリュックサックに愛用の敷物をひいて
いやあああああ~なにすんのんと鳴きまくる猫様を
リュックに充填して6時までの診察に急ぐ。

「絶対に伺うのでお願いします!」

と 受付の方に伝えて午後5時40分
夕ご飯までに帰るからとぽぇに留守番を頼んで
ほぼ着の身着のままでおよそ8キロの
猫様を背中に背負い、家を出た。

多分 その時の私の形相は鬼だったに違いない。

途中背中でほにゃほにゃ鳴いては出してプリーズを
していたが、
ちゃんと連れて帰るからとなだめて自転車で走った。
両肩が半端なくずっしり重い。
転がるように駅から少し離れたところにある
病院に到着したのは午後5時55分だった。

物凄い汗と
ぜえぜえ言ってる私に受付のお姉さんが

「大丈夫でしたか?」

と 優しく声をかけてくれた。
ああ、約束通りに来れて良かった…

待合で待っている間にLINEでぼーずと夫に
状況を連絡すると
部活で畑を耕し マウスの世話をしていたぼーずは
すぐにそっちに向かうと返信が来た。
何せ猫様とはおむつの時からの付き合いである。
やはりこの子も転がるように来て、
後で診察室で合流することになった。


診察室に通されて、待っていたのは優しい笑顔の
女医さんだった。

「まるっとしてて、
御年の割に綺麗な子ですね。」

診察台の彼は本当にどこ行ってもお褒めを戴くほど
おとなしく診察を受けていた。
瞳孔は開きっぱなしだったけど。

診断は膀胱炎。
導尿し、膀胱を洗浄してもらった後
点滴と注射をしてもらった。

看護婦さんがそっと猫様の手足を固定しながら

「大丈夫、今日はお母さんと帰れるよ。
お母さんが走ってきてくれて、良かったね。」

と 猫様に声をかけてくれた。

いやもう、年齢が年齢だけに入院も覚悟していたから
心底安心した。

高齢だが糖尿も肝機能の衰えも無いと
検査結果を教えてくださった。
気付いて連れてきて本当に良かった。一安心。

「明日は祝日で休診日ですので、
もし、食べられなくて吐いたりしたら
こちらの獣医さんへ診ていただいてください。」

と ご丁寧に薬と一緒に詳細な地図を渡してくださった。

一番うちに近い病院に最初は電話をしたが休診だったという話を
先生にしたら

「ああ。
あちらの先生はね、猫ちゃんの処置の際には
すべて全身麻酔をかけてから行われるようですから
私は…お勧めではないですね。」

麻酔の深度が合わなかったら命取りだし、
何より猫の処置の際の痛みの反応が見られないように
極端な手段で無抵抗するのは私も嫌だ。
あまり外に出ない情報なだけに聞けてラッキー。

うちの猫様は幸運を引っかけてくる鍵しっぽなんだが
まさに良い獣医さんに導いたのは彼の強運かもしれない。

涙目で合流したぼーずと一緒に連れて帰っているときに
彼が

「今日はワンワンにゃんにゃんの日でよかったね」

とほっとした表情で言った。

「あーー…
そっちもそういえばあったよね。」

これからは毎年この日は
ワンちゃんと猫様の日として体調チェックの日にしようと
思った帰り道なのだった。






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[2016/11/28 00:26] | 日々雑感
|

子供たちと私が咳の風邪をひいてしまい
3人で家にこもってマスクド生活をしていた。

ようやく元来呼吸器が弱い
ぼーずの胸の痛みと息苦しさが楽になり
バイト先へシフトを書きに行くという時に買い物を
頼んだんだが
帰ってきたぼーずがいきなり

「おかーさん
スーパーのおっちゃんいてるやん。
あの品物の陳列いつもやってる人」

「うん。」

「エノキ買おうとしたら話しかけられたんよ。

『兄ちゃん、これの名前知ってるか?』

って。」

「名前…?」

「『これはなぁ、アントニオいう名前なんや。』

って。」

「ふんふん。
キノコにそんな品種名あったんや。」

えらいアカデミックな話するじゃあないか。

「アントニオ…

でもアントニオって言われてさ、
はたと一瞬考えて


…もしかして…猪木

って答えたら

『そー!
 わかってくれた?
 アントニオ・エノキ!
 さすが関西はノリと突っ込みの文化やなぁ~~~!』」

「…( ;一一)…


返せ私の真面目な時間。


「いや、
ぼくかていきなりやったから最初は真面目に聞いてたんやで。
でもおっちゃんの顔が
明らかになんかにやけてたからさぁ」

「真面目に菌類の品種の話やと思たやないのν

スーパーのおやじ何すんねん!
どーして平成の子供がそんなおやじギャグに乗れるねん!

お前ほんとは昭和?昭和生まれなの!?」

「いやいやいや、
たまたまやから…」


まぁ夫が格闘技マニアのせいもあるかもしれないが。
先週リアルな話
近くに大阪プロレスが興行に来るからと
夫とぽぇはタコヤキーダーさんと一緒に写真を
撮ってもらってきた。
すんごい筋肉のつき方がかっちょええし
ファンサービスがすごい方々である。


やれやれν
まぁそんなわけでその日はアントニオエノキ入り
うどんすきをおなか一杯食べましたとさ。

関西人でも
とっさに突っ込みを要求されても困る時もあるのだよ。



[2016/11/16 22:37] | お笑いの日々
|



生前 記憶のなかの母親の顔にはしわが一つも無かった。

(理解できない気性の荒さと吊り上がった目元が般若の面に似て
恐ろしい存在でしかなかったが。)

おそらく叔母も大叔母達もそのような面立ちだったので
家系なんだろうと思うが
子供の頃の私には歳を取るということが
幼すぎてまだ分からなかった。


掌のしわも樹々も魚のうろこも
ひとつひとつ刻まれてゆくとは図鑑で見たけれど
自分には見えたしわが無い。

何も見えてはいなかった
歳を取るって、どういうことなのか。
何をその時思うのか。


そうして私も歳を取り自分も嫁にゆき、
子供が生まれて母親になった。

一通り子供が少し成長したら他人様に面倒を見てもらい
留守番ができるようになった子は一人机に向かって
働きに出る私の帰りを待ってくれるようになった。

やはり家系なのか、
私の顔には目立ったしわはまだないけれど
寄る年波には勝てず
腰を痛めてストレッチに励んだり
不整脈で心配を掛けたりする。

少しリンクで滑っただけで
その日のうちに内ももが物凄い筋肉痛に襲われる。
浅田真央ちゃんはそこで10年以上3回転半をずっと跳んでいる
美しいミューズのようだ。

こういう年頃になってきてふと、
この子たちに何が残せるだろうかと仕事の帰り道に
考えめぐらすようになった。


「お母さんが長生きして90歳になっても
ぼくが手をつないであげる。

でも
お母さんが歳を取ってぼくより先にいなくなっちゃうのは
…今は考えられへんけど、すごくさみしいなぁ。」


買い物帰りに一緒に歩く
手をつないだ子供の手は柔らかで温かい。

私の手もこんなに柔らかかったんだろうか。

こんなにも気持ちが和んだだろうか。

両親の気持ちはもうわからない。


子供たちの身体のDNAに 思い出に
私が生きていた事がほんの少し残ってゆくのは
わかるけれど
歴史にも満たない瞬間かもしれないなぁ。


まあ、後で子供たちの笑いの種になればいいと
こうしてWEBに綴るわけだけど
いつまで残ってくれるかな。

繰り返す万人に平等な時間の流れと
自分の衰えを自覚せざるを得ない歳の順番が
いよいよ自分に回ってきたが
大きな事を残して歴史にもなれない私は
あと少しの時間にどんな記憶を遺せるのだろうか。




子供たちよ
あなたがたが生まれて私に抱かれて
じっと母親の顔を見つめた
その日から

それでも間違いなく私にとっては大きな歴史の始まりだったよ。




[2016/11/15 23:22] | ちょっとまじめに考えてみる。
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