ドール職人のドールライフと日常を綴る日々。

どうも色んなことをかんがえてはいるものの
雑多になっていて文章になるのには整理がつかないこと
ばかりで
そんな迷っているときにはどうしてもネットの世界から
足が遠のいてしまう。

本格的に夏がやってきたのと
雨が定期的にぱたぱたと降ったら
どんどん気温が上がって夏になっていく季節に
なってきた。

何も考えていないわけではない。
ただ、発信することにかなりナーバスになってはいる。


一連のネットでの様々な騒動を観ていると
正直些末なことをコメントすることでアイキャッチャーに
なっているマスコミ記事や芸能人や門外漢の識者のような人間が
ネットの利用者を煽動しているような気がしてならない。
騒動が続けば続くほど、彼らの飯の種になるわけだから、
そこには水物の利得が潜んでいる。

もしかしたら
私が異を唱えることをコメントしたら顔の見えない「良識人」から
高い場所から罵倒を浴びることになるかもしれないし、
まったく相手にもされないかどっちかだと思う。

みんな不用意に傷つきたくはないくせに他人を傷つける事を
平気で書いて自分が被害者のように責め立てている。
そこには全体主義的な指向のいやらしさも働いていると思う。

個人的にはうんざり。

「私だったら~しない。」?

別に違っててもいいのよ、
話題になっているのは「あなた」じゃないんだもの。

「あのさ。」

テーブル向かいで本を読んでいる
夫に問いかけてみる。

「今のウェブのニュースってさ

ほんとはなんにも考えてなくて
ただ叩ける悪もんが欲しいだけと違うやろか。
自己満足な勧善懲悪で憂さを晴らしたいだけっていうのも
あるんちゃうやろか。」

「どうも中庸さに欠けてるよなぁ。
世の中白と黒ばっかりちゃうねん、
ほとんどはグレーゾーンで、100%悪人のほうが
少ないのになぁ。
それに本当のことなんか仮に知っても、
自分になんかあんのかっていうと
まったく関係のないことやったりするんだなこれが。」


有名な聖書の言葉で遊女がイエスキリストを
もてなしたことを受け入れたのを非難した
イスラエル人たちにキリストが

「私には何の罪もないという人は
この女に石を投げなさい。」

良心に誓って何の咎もない人間ならば
イスラエルの取り決めによって石打ちの刑にせよと
いう意味である。

さあ、
何者が本当に石を投げ入れ
その息の根を止める権利を有するものなのか?

確かに個人的な道徳観で受け入れがたいことは
たくさんあるだろう。
目を覆いたくなるひどいニュースもあるだろうが

我々は発信する者として自分の良心に従い
書き込む前にもっと想像力を良い意味で働かせるべきである。
本当にネットではなくリアルな自分の立場として発信すべきことは
きっとあるはずである。

それが本当のネットという鏡に映った
自分の顔になるはずだから。


関連記事
スポンサーサイト


追記を閉じる▲

一連のネットでの様々な騒動を観ていると
正直些末なことをコメントすることでアイキャッチャーに
なっているマスコミ記事や芸能人や門外漢の識者のような人間が
ネットの利用者を煽動しているような気がしてならない。
騒動が続けば続くほど、彼らの飯の種になるわけだから、
そこには水物の利得が潜んでいる。

もしかしたら
私が異を唱えることをコメントしたら顔の見えない「良識人」から
高い場所から罵倒を浴びることになるかもしれないし、
まったく相手にもされないかどっちかだと思う。

みんな不用意に傷つきたくはないくせに他人を傷つける事を
平気で書いて自分が被害者のように責め立てている。
そこには全体主義的な指向のいやらしさも働いていると思う。

個人的にはうんざり。

「私だったら~しない。」?

別に違っててもいいのよ、
話題になっているのは「あなた」じゃないんだもの。

「あのさ。」

テーブル向かいで本を読んでいる
夫に問いかけてみる。

「今のウェブのニュースってさ

ほんとはなんにも考えてなくて
ただ叩ける悪もんが欲しいだけと違うやろか。
自己満足な勧善懲悪で憂さを晴らしたいだけっていうのも
あるんちゃうやろか。」

「どうも中庸さに欠けてるよなぁ。
世の中白と黒ばっかりちゃうねん、
ほとんどはグレーゾーンで、100%悪人のほうが
少ないのになぁ。
それに本当のことなんか仮に知っても、
自分になんかあんのかっていうと
まったく関係のないことやったりするんだなこれが。」


有名な聖書の言葉で遊女がイエスキリストを
もてなしたことを受け入れたのを非難した
イスラエル人たちにキリストが

「私には何の罪もないという人は
この女に石を投げなさい。」

良心に誓って何の咎もない人間ならば
イスラエルの取り決めによって石打ちの刑にせよと
いう意味である。

さあ、
何者が本当に石を投げ入れ
その息の根を止める権利を有するものなのか?

確かに個人的な道徳観で受け入れがたいことは
たくさんあるだろう。
目を覆いたくなるひどいニュースもあるだろうが

我々は発信する者として自分の良心に従い
書き込む前にもっと想像力を良い意味で働かせるべきである。
本当にネットではなくリアルな自分の立場として発信すべきことは
きっとあるはずである。

それが本当のネットという鏡に映った
自分の顔になるはずだから。


関連記事
スポンサーサイト

[2016/05/16 15:18] | ちょっとまじめに考えてみる。
|
コメント:
この記事へのコメント:
コメント:を投稿
URL:

パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可